お侍様 小劇場

   虚実錯綜 (お侍 番外編 93)
 

      



 その夜は、初夏らしい新緑の香りも満ちての瑞々しく、浅藍の夜空が見下ろす街には、爽やかで心地のいい夜気が粛々と垂れ込めていて。夏至も過ぎたせいだろか、蒸し暑い昼日中より、涼しい宵が恋しくなる頃合いではあるものの。こちらの宴を満たす“夜”は、そういう情緒からは微妙に遠い、華やかなにぎわいを見せての騒がしく。何かしら国交がらみの晩餐会…なんてな、公式の堅苦しい集まりじゃあない。あくまでも顔つなぎのための歓談を目的とした、非公式な会合という触れ込みの、セミフォーマルな立食パーティー。なので、女性陣の装いも、初夏らしくも軽やかなシフォン仕立ての、ワンピース風カクテルドレスという方々が多く。それでも、アクセサリーや何やへは、女性ならではな感覚からついつい気張ったか。髪や耳朶、首条や指などへとまとわされているものは、金銀の豪奢な光沢が煌く彫金ものやら、燦然と輝く七色の宝石をちりばめた贅沢なものやらと、目も眩むようなきらびやかな逸品ばかりが多数。まるで、ネオンの影響から都会の空には見えなくなって久しい、天の銀河の再現のよう。親しいことに偽りはないが、それでも…さりげなくも妍
(けん)を競い合うのもまた、女性としての性(さが)が為さすこと。それぞれがその装いへと誇らしげな頬笑みを浮かべ。妙齢な年頃の女性は殊に異性の目も意識しての嫣然と、この夏にはやりのパールメイクをほどこした目許をたわめ、それは あでやかに微笑っておれば、

 「あら、お出ましになられたようですわよ。」

 さわさわとした談笑のざわめきが、ふと。とある人物の登場に気づいたからだろう、順々にその注意と関心をそちらへと向け始めた。段差を設けてステージのように高さをこしらえてあった、テラス側へと開放されていた大窓の1つから、上背のあるスーツ姿の紳士に、その小さな御手を掲げられ、年若い淑女がエスコートされてのご登場で。明らかに異国のお人だろ、ワンショルダータイプの少しセクシャルなデザインのシフォンのドレスが、文句なくの十分に映える、大人びて魅惑的な肢体をしてもおいでだが。それがただただ妖艶ないで立ちにならぬは、彫の深いエキゾチックな面差しに、深色の双眸が凛と冴え、どこか挑戦的ともとれよう、勝ち気で知的な表情を絶やさずにいらっしゃるからで。

 「まあまあ、なんて品のある皇女様かしら。」

 場所こそ某国の大使館の広間であり、ホスト役を務めているのも、その国の大使ご夫妻だったが。実質は、彼らの親しいお友達をお披露目することにあり。宴の半ばでやっと登場なされし麗しの皇女は、まだ二十代になったばかりの御歳か。王族の育ちという威容から、振る舞いも態度もなかなか落ち着いておいでだが、それでも覆い切れない若さの華やぎが満ちた、蠱惑的な美姫であり。日本との国交がないではないが、大使館はまだ置かれぬ小さな小さな王国。しかも、この数年という現今の国情が芳しいそれではないがため、実のところ、政治の中枢を預かる一族のお一人が、こんな異国他国に居ること、大っぴらな公言をするのは はばかられるよな状況下にあるとかで。それがどうして、このような華やいだ場にその身を置いておいでかと言えば。日本にいたのは単に留学していたからだが、反王政を掲げる過激な一派の暗躍が甚だしい実情下、それが堂々とした帰国であっても、相手がその気勢や士気を上げるための、危険な標的とされかねない。その辺りをようよう説いた側近の皆様だったというに、

  ―― 保身のための亡命目的な出国…と、思われたくはなくて

 このような席や場にあえてその身をさらし、母国の王政権への後援や支援をと、呼びかけて回る存在になっていたいという、他ならぬ皇女自身のたっての希望から、このような運びになっているのだとかで。

 「何とも勇気のおありな御方ですこと。」
 「ともすれば遊びたい盛りの娘盛りだというのにねぇ。」

 それでなくとも、危険がいつどこから襲うやもしれないというに。敢えて“此処にいる”とその姿をあらわにしている、その毅然とした態度でもって、お国で王政を執行しているお身内の誇りをも、体言なさっておいでなのだろうが。

 「お初にお目にかかります、皇女様。」
 「光栄ですわ、姫。」

 ホストである大使に引き回されてのご挨拶を、ホールのあちこちでこなしておいでのその最中に、

  ……… 、ぱ・ぱぱんぱん、という

 まさかまさかの凶弾放つ銃声が重々しくも轟いたから。たちまち、あれ怖い、伏せて、屈んで…という悲鳴や怒号や、はたまたグラスが砕ける音などなどが、ホールいっぱいに飛び交って。得体の知れぬ襲撃へ、恐慌状態に襲われてのこと、混乱しかかったホールだったが。外回りなぞへ詰めていたのだろ、警備担当の護衛官たちが何人も駆け込んで来、開放されていた窓や戸口へのついたて代わりにと、姿勢を正して立ち塞がる。

 「誘導します、落ち着いて退避なさってください。」
 「こちらへ順番に。どうか駆け出さぬよう、お願い致します。」

 機敏な指示も頼もしく、手際のいい対処を見せる彼らに促され、館の奥向きへと退去してゆく人々の中、

 「姫も、お早く。」

 実質的な主賓にあたった皇女へと、大使がそうと声をかけたところが、

 「…いいえ。」

 すっかりと青ざめたお顔をしつつも、くっきりとかぶりを振ったのが皇女ご自身。間違いなく彼女を狙っての狙撃だったのだろうし、なればこそ、その身も隠さねばならない筆頭だろうに、

 「私の招いた奇禍ならば、尚のこと、真っ先に逃げる訳には参りません。」

 潮が引くよに人々が逃げ去るホールは、見る見る空間を広げてゆき、そこに居残る人々を、外からでもさぞかし狙いやすくしてもいるというに。頑として立ち去らぬと立っておいでの気丈な姫であり。そうと言いたい気概は買うが、

 「あなたが害されれば、それこそ相手の思うツボだとは思わないのですか?」

 勿論、そうそうお怪我を負わせやしませんが、あなたがご壮健でおいでだということこそ、お国の皆様への希望にもなるのではありませぬかと。大使夫人が懸命に説いておれば、そんな女性らを目がけてという、卑怯極まりない何物か、そこは嵌め殺しになっていた窓を、飾り格子ごと蹴破っての飛び込んで来た影があり。

 「〜〜〜〜〜〜っ!」

 恐らくは母国の言葉だろう。棘々しいなんてものじゃあない、そのまま凶器になりかねぬ怒号にて。何かしらを叫びながら、オートマチックの拳銃を振りかざし。なりふり構わず飛び込んで来た大男があったのへは。さすがの気丈さも覆われたものか、

 「………っ!」

 その身をすくませ、夫人とともにその場へ凍りついた姫だったのだけれども。

  ―― そんな二人のすぐ前へ

 どんな疾風の化身ででもあったものか。逃げ惑う人ばかりが我先にと、背後に位置する大扉目がけて退いてゆく只中にあって。外側から飛び込んで来たその賊からすりゃあ、障害物は自主的に排除されたも同然という見通しのよさだったに違いなく。だというに…それもまたどこから飛び込んで来たものか、大きな影が思っていたよりも早くに掴み掛かって来たものだから、てっきり狙撃者だと思い込んでの抵抗しかかった姫だったけれど。

 「(離してっ!)」

 さすがに怖いか金切り声になってしまった、母国語での拒絶の悲鳴へ。すぐの間近から返って来たのが、

 「(大丈夫、当てさせやしません。)」

 やはり母国語の、それも随分と落ち着いた声であり。こんな状況にあってもそれと聞き取れた、低くて響きのいいお声だったことと。その声と同時に、くるみ込んでくれた存在感の大きさが、あまりに頼もしかったものだから。腕まで突っぱねての抵抗をと構えていたはずが、先程とは違った意味合いから、その手が止まってしまったほど。そんなお声を届けた君が、一体どんな人なのだろかと、頭上を見上げかかったそんなところへ。

  ――― ぱん、っと

 その乾いた音は、冗談のように高らかでささやかだったが、実際のそれを知るものには、紛うことなくの本物と、苦もなく聞き分けの出来た銃声が至近で鳴り響き。

 「〜〜〜様っ!」
 「儂は良いからっ、早よう確保をっ!」

 遅ればせながらという駆けつけようで、彼の同僚であろう顔触れがなだれ込み、飛び込んで来た賊を押さえ込みの、それとは別に、警護対象にあたる皇女や夫人の方へも駆け寄った者があったらしくて。案じての声掛けを、冷徹にも一刀両断するよなお返事であったというに、はいと短く機敏な返答を返した誰かは、そのまま夫人らをこちらへと引き取って、ホールの外へと促してゆく。嵐のような悪夢の襲来は、時間にすればほんの一瞬のようなものだったのだけれど。だからこそ、それをすんでのところで受け止めてしまえた存在の力量は、喩えようのないほど凄まじいとも言えて。さぁさ こちらへと退避を促されつつも、せめて姿を見たいと肩越しに振り返り掛かった皇女の視野の中。不貞々々しくも顰められた顔のまま、引っ立てられてゆく大男が退いたあと、片膝をついて自分の肩あたりを押さえておいでの男衆の姿が見えて。ジャケットの陰とは別物、鈍い朱色のしみがそこへと広がるのが覗け、

 「………あ。」

 当てさせはしないとの言を守るため、その身を正に盾にしてくれたのだと、遠ざかりつつの一瞥だけで判った皇女。こんな風に庇われたのは初めてでもなかろうに、どうしてだろうか…華奢なその身のずんと深いところにて、何かがツキンとよじれて痛んだ、そんな気がしたのだった。




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